Kanon〜夏の想い出

第五章 八年ぶりの夏休み

その日、その少女は朝早く起きた。普段よりも2時間ほど早い、朝5時に目が覚めた。この日は彼女、月宮あゆにとっては大事な日だったからである。  
「秋子さん、おはようございま〜す。」
「あらあら、あゆちゃん、おはよう。今日はずいぶん早いのね。あ、そうか今日は・・・。」
「うん、今日は祐一君と会う日だよ!」
あゆは満面の笑みを浮かべて答えた。

 

彼女は昨年の冬、この街に両親の都合で引っ越してきた相沢祐一という少年と7年ぶりの再会を果たした。あゆがたい焼きの屋台で食い逃げを働き、その逃走中に祐一と遭遇、そのまま彼を共犯化してしまったのだった。それ以降ちょくちょく2人は商店街で会い、あゆの「探し物」を探したりして過ごした。あゆが祐一の居候している水瀬家に泊まりにきたこともあった。  
そうして楽しい日々を過ごしていたのだが、ある日祐一があゆの学校に行きたい、と言ったことで全てが崩れ始める。あゆが祐一を連れて行った先には学校は無く、あったのは大きな木の切り株だけだった。そこは確かに学校だったのだ、7年前、祐一があゆと別れるときに決めた、2人だけの秘密の学校・・・。
7年前、そこには大きな木が立っていた。あゆはそこから見る街の風景が好きだった。祐一がもとの街に帰る日、やはりあゆは木の上から街の風景を眺めていた。「学校」にやってきた祐一を見つけ、あゆは木から下りようと立ち上がった、その時、強い風が吹いた。ほんの一瞬の風、しかし、幼い少女を吹き飛ばすには十分すぎる強さの風だった。幼いあゆは、そのまま、幼い祐一の目の前で、地面に叩きつけられた。赤く染まった雪、指きりをして指を切らない少女、もう2度と目を開かない少女・・・。幼い祐一の心は、完全に閉じられてしまった・・・。
あゆは消えた。全ての記憶を思い出した祐一。彼は、あゆに会うため彼女の「探し物」、祐一があゆにプレゼントした願いを叶える人形、「天使の人形」を探した。友人達の助けを得て、見つけ出した「天使の人形」はぼろぼろになっていた。それをいとこの少女、水瀬名雪に直してもらい、祐一は約束の場所、2人だけの「学校」へと向かった。
あゆの最後の願いを叶える為に。
しかし、彼女の最後の願いは、
「ボクのこと、忘れてください。」
祐一のことを想うが故の言葉、祐一に幸せになってもらいたいから発した言葉・・・。
「本当に、俺に忘れてもらうことが、あゆの願いなのか?」
本当は、ずっと一緒にいたい、こうやってこのまま、ずっと一緒に・・・。  
しかし、それは叶わぬ願い・・・。
「祐一君、ボクの体、まだあったかいかな・・・?」
「・・・当たり前だろ・・・」  
あゆはその言葉を聞くと、にっこり微笑み、
「よかった・・・!」
そのまま、消えていった。  
しかし、信じれば奇跡は起こる。  
あゆは、7年ぶりに、目を覚ました。止まっていた時はゆっくりと動き始めたのだ、たった一つの奇跡のかけらを抱きしめながら・・・。

 

あゆはその後、高校に入学するために猛勉強を開始した。まず、小学校の基礎知識、そして中学内容。祐一たちは大学受験を控えていたのだが、自分たちの勉強の合間を縫ってあゆに勉強を教えた。特に頑張ったのは祐一の1年後輩の美坂栞だった。彼女はあゆに出会って本物の笑顔を思い出し、自殺を思いとどまった。ある意味で命の恩人である彼女に、その恩返しとばかりに、熱心に勉強を教えた。それでも、たった1年で、7年分を埋めるのはほぼ不可能に近く、受験の日がやってきた。
「ま、まあ大丈夫さ、来年だってあるさ・・・!」
「うぐぅ、ぜ、絶対今年受かる・・・、もん・・・」
「あ、あゆさん、気を確かに持ってください!大丈夫ですよ!奇跡は起こります、きっと!」
「栞ちゃん、それって奇跡が起こらないとボク、受からないってこと・・・?」
「う・・・、うぐぅ・・・」
「栞、それはあゆのセリフだ・・・。」
祐一と栞の応援(?)を背に、あゆは受験教室へと向かった。  
結果はあゆ曰く、
「テストのこと、忘れさせてください・・・」
とのこと・・・。  
しかし、合格発表の日、奇跡は起こる。なんと、あゆは受かったのだ。一番信じられなかったのはあゆ本人で、何度も張り出された番号と自身の受験番号を確認していた。  
後日、祐一は後輩の天野美汐から、こんな話を聞いた。
「入学試験の前日に、名雪さんのお母様が学校の校長室に入って行かれるのを見たのですが、一体なんの用事があったのでしょう?」
祐一は、その件に関しては聞かなかったことにしたほうがいいような気がしたので、さっさと忘れることにした・・・。

 

何はともあれ、無事高校生になれたあゆは、8年ぶりの夏休みを迎えることになったのだった。そして、今日は祐一とデートの約束をした日だった。
「あゆちゃん、ご飯の用意ができるまで、待っていてくださいね。」
「は〜い!」
身寄りの無いあゆは、現在水瀬家に居候している。また、沢渡真琴という元記憶喪失の少女も居候している為、水瀬家には現在家主の秋子を合わせて3人が暮らしている。ちなみに、名雪は隣町の大学に通う為に一人暮らし中、祐一も一人暮らしを始めるために水瀬家を出て行っている。  
あゆはご飯党で、毎朝白ご飯に味噌汁、鮭の切り身という実に日本人的な食生活をしている。今朝の食事も、味噌汁に鮭の切り身に・・・、お赤飯だった・・・。
「あれ、秋子さん、今日は白ご飯じゃないの?」
「ええ、だって今日はあゆちゃん、デートでしょう?うふふ、お若いっていいですね♡」
秋子は手を頬に当て、にっこり微笑んでいる。
「あ・・・、秋子さん!!」
「うふふ、恥ずかしがらなくてもいいのよ。私も若い頃は・・・。」
「うぐぅ〜〜、ご・・・、ごちそうさま!!」
あゆはかつてないスピードで用意された朝食を平らげると、大慌てで自室へと駆けていった。その途中の階段で足をひっかけ、盛大に階段を転げ落ちたりしていたが・・・。
「あらあら、あゆちゃんってば・・・。」
秋子は実の娘を見るような目で、あゆの様子を見ていた。いや、実際秋子にとって、あゆはもはや実の娘なのだ。以前、秋子が熱で倒れた時に、苦手にも関わらず、必死になっておかゆを作ってくれたあゆ。看病疲れで、寝てしまったあゆ。秋子はその時、あゆの正体に気づいていた。あゆの母親が亡くなっていることも、そしてあゆ自身も・・・。秋子は自分のために必死になってくれているあゆを、本当の娘として扱うことを決心した。そして、本来母親に教えてもらうはずの料理を教えてあげようと、決心したのだった。

「じゃあ、秋子さん、行ってきま〜〜〜す!!!」
その後、あゆは2時間ほどはテレビを見たりしていたのだが、待ち合わせまでまだ2時間以上もあるのに出かけることにしたのだった。
「あらあら、あゆちゃん待ち合わせは10時でしょう?まだ2時間近くあるわよ。」
「うん、でもボクもう待ちきれないんだ!!」
そう言うが早いか、あゆは駈け出して行った。
「行ってらっしゃい、あゆちゃん。」
秋子はにっこりと微笑んで、あゆを見送った。

 

待ち合わせの場所は、二人だけの秘密の「学校」。8年前の事故で、木は切られてしまっていたが、最近その木から、新たな芽が芽吹きだしたのだ。まるであゆの復活を待ち望んでいたかのように。  
あゆは無我夢中で駆けていた。祐一君と早く会いたい!その気持ちを抑えきれず、表情にまで表れていた。そして、この夏休みのビジョンが脳裏に浮かんでいた。

 

祐一君と過ごす初めての夏休み、何をして遊ぼうかな?せっかく泳ぐ練習とかしてるんだから、海にも行きたいな。そういえば、海に行ったことなんて無かったな、ボク。他にもまだまだ行ったことない場所がたくさんあるよ!キャンプとかもしたいな。花火だってしてみたい。あ、夏祭りなんかも行ってみたいな。去年は受験勉強で行けなかったからね。祐一君と金魚すくいで勝負するんだ!!あと、あと・・・。
今年は8年分の想い出を作るんだ!!

 

8年ぶりの夏休み、好きな人と初めて過ごす夏休みは、まだまだ始まったばかり。

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