Kanon〜夏の想い出

第二章 暖かい日差しの下で

「真琴ー、お洗濯干すの手伝ってくれますか〜?」
昼近くの水瀬家に、家主である水瀬秋子の声が響く。本日は絶好の洗濯日和。
「はーい、今行きまーす。」
ドタドタと騒がしい音をたてて階段を下りてくるのは沢渡真琴。彼女は昨年の冬に、商店街におつかいに来ていた祐一に襲い掛かり、空腹のためKOして水瀬家に運ばれた記憶喪失の少女であった。自らの名前と「祐一が憎い」ということだけを覚えていた真琴は、結局水瀬家に居候することになり、毎夜復讐と称して祐一にいたずらしては痛いしっぺ返しを食らっていた。そんな彼女の正体は昔祐一が助けたキツネ、「妖狐」であり、人間の温もりを忘れられなかった彼女は自らの記憶と命を代償に人間となり、祐一に会いに来たのであった。  
真琴は次第に元気をなくし、言葉も忘れ、最後には消えてしまったが、彼女の親友ともゆうべき飼い猫「ピロ」の働きにより、再びこの世界に戻ってきたのだが、この話はまた折を見て話したいと思う。  
真琴は庭に出て、洗濯籠に入っている洗濯物を干していった。現在、水瀬家には真琴と秋子、それに月宮あゆが居候しているのだが、あゆは現在外出している。
「ありがとう、真琴。おかげで洗濯物を早く干し終えたわ。まだ早いけど、そろそろお昼にしましょうか?」
「わーい、真琴もうお腹ペコペコ〜〜。今日のお昼はな〜〜に〜〜?」
「今日は肉まんですよ。」
「・・・本物の、だよね?」
「もちろんですよ。」
手を頬にあて、にっこりと微笑む秋子。怪訝そうな表情の真琴。これには理由があり、以前、秋子は特製の自家製ジャム(通称・謎ジャム)をひき肉と混ぜて肉まんの具にして真琴に出したことがあり、真琴は死ぬ思いをしたことがあったのだ。そのことをあゆに話した時、
「ボクは似たようなことをタイヤキでされたことがあるよ・・・。」 という答えが返ってきた。あゆはそれを口にしたのが2度目らしく、どうも普通にジャムの入ったビンを出しても皆食べてくれないので工夫をしたらしいのだが、食べさせられる方は困ったものである。  
何はともあれ、謎ジャム以外は秋子の料理は絶品で、たいがいの料理ならば作ってしまう。肉まんもその一つである。真琴はこの肉まんが大好物で、1日に3つは食している。しかし、最近胴回りを気にしだしたのか、肉まんをあまり食べないようにしていたのであった。  
現在、断肉まん4日の真琴にとって、そろそろ禁断症状が出始めた頃であったため、この昼食に肉まんというのは飛び上がるほど喜ばしいことであった。

 

「ピロ〜、ご飯だよ〜。おいで〜。」
真琴が飼い猫のピロの名前を呼ぶ。正式名は「ピロシキ」という。当初その意味は分からなかったが、最近テレビの料理番組でその名を聞き、名付け親である祐一に、
「ピロシキも食べ物の名前じゃないのーー!!」
と抗議したばかりである。以前、名前を決める際に「食べ物の名前じゃないのがいい」と言っていたからである。
「にゃ〜〜」
と眠そうな目をしたブチ模様の入った猫が階段から下りてくる。
「今日は久しぶりの肉まんだよ〜。っといってもピロにはいつもの猫マンマだけどね〜。」
「にゃ〜〜」
それがうれしいのか怒ってるのか分からない目でピロは真琴を見つめる。水瀬家ではピロに市販のキャットフードではなく、主に秋子の手作りフードが出される。手作りといっても猫マンマになにかおかずがつくぐらいのものだが。キャットフードをあげない理由は真琴が、
「そんなまずそうなのピロには食べさせたくない。」
と言ったためである。  
「ん〜〜、やっぱり秋子さんの肉まんはおいし〜〜い♡♡」
満面の笑みを浮かべる真琴。秋子もうれしそうにその様子を眺めている。真琴は5つ目に手を出している。ピロはもの欲しそうに見つめている。
「そんなに喜んでもらえると、作ったものとして本当に嬉しいわね。」
「ほふひへば・・・」
「口に物を入れたまましゃべってはだめですよ。」
「ふぁ〜〜ひ。んぐんぐ・・・プァ〜。そういえばあゆあゆはどうしたの〜?今朝は見かけてないけど。」
「あゆちゃんは今日はデートですよ。10時に待ち合わせだとかで、今朝8時にはもう出て行きましたよ。」
「うげっ・・・、そんなに早く?どうせ相手は祐一なんでしょ?そんなに早く行ってもしょうがないのに。祐一のことだから絶対遅刻してるわよ。  
あ〜〜、じゃあ今日は一人か〜。午後どうしようかな〜〜?」
「美汐さんと遊ぶのはどうですか?今日はいい天気ですし。」
「美汐か〜〜。うん、いいかも。ちょっと電話してみよ〜〜っと!!」
天野美汐は真琴の親友で、彼女自身以前「妖狐」とのつらい別れを経験したことがあった。そんな彼女だからこそ、真琴と一緒にいる祐一に近づき、その別れのつらさを伝えるも祐一の真琴を思う気持ちに心動かされ、最後には自らも真琴と「親友」となることを選んだのだった。その先がたとえ、悲しい道しかないことを知っていても。しかし、奇跡は再び起こり、真琴はこうして戻ってきた。そのことを真っ先に知り、迎えに行ったのは彼女だった。彼女はその時、人生で2度目の涙を流した。1度目は彼女の「妖狐」がいなくなった時だった。  
真琴は電話帳にメモした美汐の電話番号を見つけ出し、電話をかけた。足元にはピロがいつのまにか来ていて、電話口を見つめている。数秒の発信音の後に、おばさんくさい声が出る。
「もしもし、天野ですが。」
「あ、美汐〜〜?あたし、あたし、真琴だよ〜〜!!」
「あら真琴、こんにちは。一体どうしたの?あなたから電話なんて珍しいわね。」
「あれ、そうかな?ん〜、まっいいや。ね、それよりもさ、今日これから暇?暇ならさ、どっかに一緒に遊びに行かない?真琴、今日は暇でしょうがないんだ〜〜。」
「あゆさんはどうしたんですか?今日は一緒じゃないんですか?」
「あゆあゆは祐一とデートなんだって〜〜。」
「あ、そうなんですか。相変わらず、あのお二人は仲がよろしいですね。」
「うん。ね、そんなことよりどうなの、今日、暇なの?」
「夏休みの宿題もありますが・・・、そうですね、今日はこんなにいい天気なのですから、外に遊びにいきましょうか。それに、真琴に話もありますし。真琴はどこに行きたいんですか?」
「ん〜〜、どうしようかな〜?まだ考えてなかったんだよね〜。そうだ、プールにでも行く?真琴、この間秋子さんに水着買ってもらったんだ〜〜。」
「プールですか。悪くないですね。じゃあ、直接プールに集合ということでいいですか?」
「オッケ〜〜イ!!じゃあ、今から10分後にプールで!!!」
「分かりました。それでは。」
「まったね〜〜。」
ガチャン、と勢いよく受話器を置いた真琴は階段を駆け上がり、自分の部屋にある水着やら財布やらをお気に入りのバッグに詰め込み、
「秋子さーん、あたし美汐とプールに行ってくるね〜〜!」
「了承。」
と秋子が答えるよりも早く、飛び出していった。ちなみに、このお気に入りのバッグは真琴が帰ってきたお祝いとして、祐一にプレゼントしてもらったものである。

 

真琴にとって、今年は初めての人間としての夏。寒い冬しか知らなかったはずの少女が体験する、暖かい日差しの下でのお話は始まったばかり。

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